忍士調査隊 上野東照宮 編

忍士調査隊とは

忍者本来の生業である「調査・諜報」のうち
「調査」に重点を置き、様々な場所へ「調査」を行うことにより
皆様へ解りやすく忍者への情報を提供することを目的としたプログである

この世を照らす光あらば
    この世を探る影もあり
・・・

今回の調査内容

西念寺~徳大寺に続いてのレポートになる3回目の今回は
【上野東照宮】に潜入してまいりました。

【上野東照宮】


東照宮といえば、あの徳川家康公を祀る日光東照宮が一番有名ですが、
じつはここ台東区上野にある
上野恩賜公園の中にも、
家康公を祀る
【上野東照宮】がひっそりと存在します!

寛永4年(1627)、藤堂高虎と天海僧正により東叡山寛永寺境内に創建されました。
藤堂高虎は津藩主で築城技術に長け、江戸城を築城した人物としても知られています。
寛永寺とともに江戸城の東北、鬼門の方角を守護する役割を果たしてきました。

拙者も上野恩賜公園にはよく遊びにいっておりましたが、
最近までこの存在には気が付きませんでした~汗!

主祭神は、
徳川家康公/東照大権現(とくがわいえやすこう/とうしょうだいごんげん)
徳川吉宗公(とくがわよしむねこう)
徳川慶喜公(とくがわよしのぶこう)

となります。

四大東照宮(日光東照宮、久能山東照宮、芝東照宮、上野東照宮)の一社です。

調べてみると家康公を祀る【東照宮】は全国にいくつも存在していました!



門を入り唐門に向かう長い参道には、諸大名より奉納されたおおよそ200基の石灯篭が並ぶ

大 鈴 と 狛犬

右手にはびっくりするほどの大鈴がでで~んと釣り下がっている・・・重そう、鳴るのかな?

上野東照宮に唯一ある家康公を守りする狛犬だけあって、かなり胸板がブ厚く強そうだ!
まるでマッチョなプロレスラーを連想させるイカつい存在感が辺りを威圧している。

これに襲われたら…か、勝てん・・・

さあ、狛犬を抜けるとようやく

金色に輝く【唐門】に到着!!

【唐 門】

キラキラと金色に輝く唐門は、上野東照宮の象徴であり絶好の写真スポットであります!
この時も、すごい人達がたくさんの行列を作って参拝のために並んでいました。

唐門では、きらびやかな中にも注目してほしいのが門の左右にある
昇り龍】と、【降り龍の彫刻です。 
日光東照宮の『眠り猫』でも有名な彫師の『左甚五郎』の作品だ!

上昇している方の龍が昇り龍かと勘違いしそうだが、
偉大な人ほど首を垂れるということから、
頭が下を向いている方が 昇り龍 であると言われています!

また、この龍たちは毎夜ここを抜け出して、
 不忍池の水を飲みに行くという伝説があるという・・・

  なんかいいですね~笑、 そういう伝説とか好き!

さあ、ここからは有料エリア
拝観券(大人500円)を払い、
いよいよ中へ進むぞ~!!

少しさみしい感じのうす暗い参道を進んでいくと
大 楠

上野東照宮の拝観入口から入り、目に飛び込んでくるのが、ご神木の大楠。
幹の周囲は約8メートル、高さ約25メートルの巨木です。
一目見て、その大きさには圧倒され、とても清々しい気分になれる気がします。

栄誉権現社

まず社殿脇にある“御狸様”こと「栄誉権現社」が出現! 

たぬきには、他を抜くという縁起があることから、強運開祖・受験・就職など“必勝の神さま”として篤く崇敬されています。毎年多くの受験生が合格祈願のお参りをされます。
縁起を担ぐ家康公ならではですね~。上野東照宮内では一番のパワースポットらしいです!

取材をしているその時、
近くで掃除をしている
作業員風の紳士が話しかけてきた!

作業員:なんか凄い恰好しているね~?

拙 者:NPOの忍者や侍の歴史を調べている団体で、
取材に来ているんですよ!忍者の姿は徳川家に仕えた忍者の団体なので、
その関係でこちらへ・・・

作業員:へえ、そうなんだ~フフフ…にやり。
  俺も実は、先祖がそっちの関係のなんだよ

おおーっ!こんなところにも同志?がいたのか~?
忍んでいるね! 忍んでいるね~!
作業員に化けての東照宮の整備、お疲れ様でございます!

作業員風の忍者殿?に一礼をし、
ではお待たせしましたこちらが、
上野東照宮の社殿であります!

うおお~~!やはり金箔貼りまくりでキラキラですなぁ~!
残念ながら、中へは入れないようです。

左甚五郎が手掛けた細かい彫刻が数百年たっても色褪せずにここに残っております!
イメージ的には日光東照宮の一部を切り取った超ミニミニ版といった印象ですね!

ここにもまた見事な木があります。 
        

この~木なんの木、気になる木~♬  
おもわず唄いたくなるような見事な木ですね!
これは雪が積もったらキレイそうだな!

せっかくなので社殿前で、
忍士調査隊メンバーでの記念撮影

あとからやってきたマダムに、
『あらあら忍者さんたちやっているのね?、ふふふ・・・』
とか言われちゃいました!  ええ、まあ、ハイ・・・ははは!(汗)

諫 鼓 鳥

 内側の透彫に太鼓の周りに諫鼓鳥という鳥の彫刻がある。
中国の故事に由来し、皇帝が朝廷の門前に太鼓を置き、
政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ訴えを聞こうとしたという。
それも善政のため打たれることは無かったことから、
「太鼓に鶏が住みつくほど」と言う話に倣い、
天下泰平の願いを込めて彫られたとも云われているそうです。

きささげの木

慶安4年(1651年)の社殿造営時に、雷除けの願いを込められて植えられた
伝えられ、樹齢は350年以上ある古木だそうです。
実際、何回かは雷落ちたのでしょうか? いかにも避雷針的な木だな。

という感じで、さほど広くはない社殿を静々と後にします・・・合掌。

順路に沿って出ていくと、唐門前にはまだまだ参列者の行列がつづく・・・
さすがご利益があるパワースポット!人気ありますね!

御朱印はこちらです!

狸バージョンと2種類ありましたが、今回は ぼたん苑 をやっていたので
限定のこちらをチョイス! 右下には牡丹の花の挿絵が入っています。
あ、ちなみに書いてくれるやつではなく、自分で貼るタイプでした!

手裏剣型のお守り があるらしい?…との情報があったのですが、
      現在は取り扱っていないそうです!・・・残念!(涙)

     持っている方は、レア物ですね!



そう、家康公は本能寺の変の際に身に危険が及び服部半蔵率いる
伊賀・甲賀の忍者衆に助けてもらい伊賀越えを果たし、
無事に三河まで逃げ延びたことから、忍者とも深い深い縁があるのです!


実は、その時の忍者のひとりが我々『武蔵一族』の代表である
   柴田バネッサ朱雀のご先祖様である忍者だったのです!
      
だから、我々も家康公には特別な思いがあります

旧寛永寺五重塔(重要文化財)

帰り際の参道左手には五重塔がよく見えてキレイですね。

上野東照宮の近くには、こんなスポットもありました!


お化け灯籠(おばけとうろう)

お化け灯籠(おばけとうろう)は、東京都台東区の上野公園内にある灯籠(とうろう)で、
佐久間勝之(さくまかつゆき)が奉納したもの。銅灯籠や石灯籠と離れたところにある。
おばけというのは、おばけのように大きく、高さが6.06mもあるからそのような名前がついた

日本三大灯篭のひとつで、残りの二つは、京都市南禅寺、名古屋市熱田神宮の大灯籠

上野大佛(パゴダ)

関東大震災などで崩れ落ちるまで、この大仏山と称する地には大仏が鎮座していました。
現在では薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があり、大仏の顔面部のみ保存展示され、「これ以上落ちない」と受験生の験担ぎのパワースポットになっています。

何度も罹災(りさい)しましたが、その都度復興して姿を変えて復活し続けるのは凄いね!

ちなみに崩れ落ちる前はこんなお姿でした!

関東大震災で崩れ落ちる前の貴重な写真です! なかなか立派な大佛さんでしたね。

首が落ちてしまった時の画像・・・

現在はこれ以上落ちないことにあやかりたい、受験生などの参拝がたくさん!

今年はコロナ渦で大変だった受験生、大佛様お願いはたくさん叶えて頂けましたでしょうか?

又、ここのご本尊は大佛さまではなく、
旧薬師堂本尊の薬師三尊像様でしたので、
ちゃんと先にお参りしてから写真などは撮りましょうね!

コロナ渦の影響なのか?
閉門は何気に早めでPM3時半頃に閉まってしまうので、
気になる方は余裕を持ってお早めに参拝されることをおすすめします!

調査報告まとめ

上野東照宮は、初代将軍徳川家康・八代将軍徳川吉宗・十五代将軍徳川慶喜を祀る社

寛永4年(1627年)に津藩主藤堂景虎公と天海大僧正により、
東比叡山寛永寺に家康公をお祀りする神社として建設された

江戸城の鬼門と裏鬼門に寺社を置いて災いから守るために、
邪気が入るとされる鬼門・北東の方角には寛永寺(上野東照宮)を作った。

眠り猫で有名な左甚五郎が手掛けた彫刻は一見の価値あり。
まわりには不忍池や上野大佛などの歴史的にも素晴らしい観光スポットも多数あり

これから上野恩師公園はが満開で
お花見のシーズンですので、
ふらっと立ち寄ったついでにでも、
歴史の1ページの散策として
上野東照宮にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

上野東照宮   



  • [ 所  在  地 ]
    〒110-0007
    東京都台東区上野公園9-88
  • TEL:03-3822-3455(社務所)
    TEL:03-3822-3575(ぼたん苑

                       

                             執筆者:紫 龍

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