この世を照らす光あらば
この世を探る影もあり・・・
今回は忍者の姿で都内の忍者に関する史跡をめぐるツアー
『忍者ウォーク』に体験潜入してきましたので、レポートしたいと思います。
「三重大学 山田教授と巡るNINJA WALK!江戸東京」は、一般社団法人伊賀上野観光協会が東京都内で2019年までに6回開催していた「忍者百人衆」をモデルにした、忍者の歴史を体験するアクティビティです。
忍者・忍術学の第一人者・山田雄司教授と伊賀上野観光協の会監修のもと、東京都内の伊賀・甲賀など忍者ゆかりの史跡や忍者施設などを巡ります。新型コロナウイルス感染症対策を取りつつ、グループ全員が忍者衣装を着て、山田教授と共に公共交通機関(地下鉄)と徒歩で回る、1日中忍者を学び、楽しめるイベントになります。
実は緊急事態宣言延長から何度も予定が流れてきたこのツアーですが、
ようやく都内が解除されて今回はモニターツアーとして15名位の忍者達が参加しました。
忍士調査隊からは、拙者(紫龍)と、電二丸さん、黒鉄さんの3名が参加!
ちなみに黒鉄さんはさりげなく主催者側の撮影スタッフとして潜入しています。
しかも今回はモニターツアーなので、
参加費、衣装のレンタル代、移動の交通費、昼食代が全て無料でした~!ラッキー♪
この日のツアースケジュールはこんなかんじ!
(1) 9:00 浅草ニンジャ・サムライ道場集合 ※忍者衣裳着替え (徒歩・地下鉄 移動約 40分)
(2) 10:00 鳩森八幡神社 山田教授講義 甲賀忍者ゆかりの、甲賀稲荷社あり (徒歩 10分)
(3) 10:30 明治神宮外苑 山田教授講義 銀杏並木が有名 (徒歩 10分)
(4) 11:00 国立競技場 今年のオリンピック・パラリンピック 開会式会場 (徒歩 15分)
(5) 11:30 鮫ヶ橋せきとめ稲荷 山田教授講義 江戸時代は 伊賀者組の 屋敷 地 (徒歩 10分)
(6) 昼食 赤坂見附にあるレストラン、NINJA AKASAKAでお弁当を提供いたします。
(7) 13:00 西念寺 山田教授講義 服部半蔵 正成の お墓など 忍者ゆかりのお寺 (徒歩 10分)
(8) 13:30 新宿歴史博物館 博物館見 学 30分 江戸時代の甲州街道宿場であった内藤新宿のジオラマなどが展示 (徒歩 20分)
(9) 14:20 清水谷公園 山田教授講義 江戸時代は 紀州徳川家の屋敷 (徒歩 15分)
(10) 15:00 半蔵門 山田教授講義 服部半蔵にちなんで 名前がつけられたかも (徒歩 40分)
地下鉄移動(約30分)
(11) 16:00 浅草ニンジャ・サムライ道場 到着 ※忍者衣裳着替え
浅草の道場からニンジャ・サムライ道場から出発!
まず最初にニンジャ・サムライ道場に着くと、
受付ではあの忍者界の情報サイトNin-Jackで有名な嵩丸さんがお出迎え!
お久しぶりで~す!
お呼びでござるか~!嵩丸でござる~!
嵩丸さんと挨拶をかわし、消毒と検温を無事に済ませて、忍者衣装へ着替える。
拙者は個人で申し込みをしましたが、
よくみると、あれま~知った面々の多いこと!笑
忍者衣装に着替えて、さあ忍者の集団が浅草から出発します!
雷門のそばを通り、観光客たちの熱い視線を受けながら地下鉄へ向かう…笑
もちろん電車の中でも黒い集団の登場に少々ざわめく!
今回は小学生の女の子忍者を連れた親子も参加なので、少し周りの視線も穏やかかな?
と、いうわけで最初の目的地の千駄ヶ谷駅に到着です。
最初の見学場所である『鳩森八幡神社』へ向かう!
鳩森八幡神社
かつて甲賀衆の鉄砲演習場があったところで、境内社には、甲賀組の武士たちが崇拝した甲賀稲荷神社が鎮座しています。国立競技場あたりにも甲賀組の屋敷があり、邸内の稲荷神社をこちらに遷座したとのことです。
甲賀組とは江戸幕府が組織した百人組の一つで、権田原に鉄炮場を拝領しました。
高性能な大砲を鋳造して功績をあげるなど、幕府の成立に大いに貢献したと言います。
昭和13年(1938)神前に安置した随身像躰のうち、向かって左方の神像を修復した際、隊内から『御修復記』ならびに『奉納甲賀百人姓名書』が発見され、弘化4年(1847)9月に神像を修復して拝殿を新規に建立し、設えを整えた際に甲賀組中が関わったことが記されている。
千駄ヶ谷の富士塚(有形民俗文化財)
鳩森八幡神社の境内には、東京都の有形民俗文化財に指定されている富士塚があります。
1789年に造られ、頂上には富士山の溶岩が配されています。都内に現存する富士塚の中では最も古いものになるそうです。
富士信仰は、江戸時代にもっとも盛んになった信仰で、当時日本一の富士山に参拝することが一番高いご利益が得られると思われていたのですが、諸事情で富士山参拝が出来なかった庶民が大半でした。
どうしても富士山に登って参拝したいと考えた人々は『冨士講』と呼ばれる組織を作り、『富士塚』を築きました。
富士塚とは、文字通り富士山に見立てた小山のことで、ここに登り参拝することで、誰もが富士参拝したのと同様の霊験が得られるとしたものでした。
というわけで、せっかく来たので、早速『富士塚』に登って参拝したいと思います!
そういうわけで鳩森八幡神社の見学を終え、
一行は次の目的地の神宮外苑~新国立競技場へ歩いて向かいます。
新国立競技場
こちら勿論ご存じの今年のオリンピックが行われる会場のひとつですね!
幕府の鉄砲弾薬貯蔵庫は当初江戸城内にありました。
明暦の大火(1657)で本丸、二の丸が炎上した際、爆発は免れたが危険性が指摘されたため、8年後千駄ヶ谷に移転。甲州街道と大山道にはさまれ、『谷』だったため火薬作りに欠かせない水も確保できた。
幕府に江戸湾防御のため台場が築造されると、使用される火薬はここから運ばれました。
この火薬を使っていたのが、鉄砲隊である百人組である。
百人組は二十五騎組、伊賀組、根来組、甲賀組の4組で構成されていた。
私が前回参加した忍者百人衆でもこちらを訪れましたが、以前と違いかなり競技場は完成しており、
今年出来るかどうか?のオリンピックに向けて準備万端といった風貌でした!
ここで今まで穏やかだった空模様が急に変化してきた!
今日は夕方あたりから雨が降る予報だったのに、うーむ、早くも雨が…。
神宮球場
大正18年(1590) 青山宗家初代 青山忠成が、江戸城の本丸と大手三門を警備していた甲賀百人武士である与力、同心を預けられたときに、新宮球場付近を拝領し、組屋敷とする。
江戸の治安維持に携わる先手組(先鋒足軽隊)の組屋敷付近にあった。
神宮球場は1926(大正15)明治神宮外苑競技場などのスポーツ施設が建造されるなか建設された。
雨が激しく振ってきましたが、急遽カサやカッパを購入する参加者もいて、
午前中最後の見学場所の鮫が橋せきとめ稲荷に向かいます。
案内の山田先生が傘がなく、球場の売店で急いで購入した
野球のキャラクターが裏面に入った可愛い傘をさして歩くのがチャーミングでした!笑
鮫が橋せきとめ稲荷
山田先生の傘の内側に注目!
徳川家康が江戸入国の際、伊賀者も警護のために一緒に江戸に入りました。
このときの伊賀者は『御忠勤格別之者』であるために、江戸城近くに差し置く旨を命じ、
半蔵門近くから麹町あたりまで、北は田安門近所に集住して住所を構えました。
きっと、この近くに住んでいた伊賀者たちが日ごろ参拝していた神社ですね!
という感じで、午前中の見学予定地はすべて終了し、一行は赤坂見付へとランチに向かいます。
NINJA AKSAKA(ランチタイム)
NINJA AKASAKAとは
NINJAがもてなす 赤坂の東急プラザ1階にある「エンターテインメント」レストランです。
NINJA AKASAKAのHPはこちら!https://ninjaakasaka.com/
ランチタイムの直前にものすごい大雨に襲われ、
急いで昼食場所のNINJA AKASASAに駆け込む…うーん危機一髪でずぶ濡れをまぬがれた!
なんでも忍者のエンターテイメントレストランという情報を聞いているので、
いやがおうにも期待が膨らむ!
玄関の手裏剣の形の呼び鈴を押すと、感染対策のため5名位ずつ呼ばれます。
合言葉を言うと扉が開き、暗い洞窟のようなつくりの通路を進んでいくと個室がいくつか出現する!
いやーうちら忍者なんだけど、こりゃあ暗すぎてまわりがみえませぬ!
とりあえず用意されたお弁当をいただきます!
普段はコース料理のみらしいのですが、忍者ウォーク特注のお弁当を提供してくれたようです!
これがとてもいい感じで美味しい!とても満足のいけるクオリティで、皆さんご満悦です。
まわりの壁にはご来店した色々な有名人の直筆サインが書かれておりました。
総理大臣や海外の映画スター、スポーツ選手などビックネームが多すぎて覚えておりませんが、
影の軍団の服部半蔵役の千葉真一さんの名前は一番覚えております!なんせ大ファンですからね。
食後に一息ついて記念撮影!
少しするとこのレストランの売りでもある忍者マジックショーがはじまりました!
華麗な手さばきのコインマジックから始まり、更に不思議なトランプマジックが披露されました。
サインしたカードがいつのまにやら消えて、絶対ありえない場所から出てくるという驚愕マジックでした。同席したくノ一おりょうさんの反応が良さすぎるので皆が盛り上がりました!
続いてはルービックキューブを使ったマジックです!
ひとりにルービックキューブを渡し全く自由に混ぜてもらいます。
適当に混ざったあとに、マジシャンがおもむろに・・・●▽×◆☆・・・
ふふふ… 内容はお店で楽しんでください! (自主規制)
「ええー?うわ~すごい、マジ~っ?! なにコレ、ハアハア…こんなのはじめて~♡」
…という信じられない衝撃のクライマックスに、一同はスタンディングオベーションでした!
ここだけの話ですが、私も一応マジシャンの端くれなので全ての演目のマジックの種はわかりましたが、とてもいい腕の良いマジシャンさんでミスディレクションが見事でしたよ!
疲れた体に楽しいひとときを注入してくれてありがとうございます♪
さあ、休憩と美味しいランチが済んで午後のプログラムへ出発です。
どうやら雨もあがり、天気も回復してきた様子。
コロナ渦の運動不足で午前中たくさん歩いたメンバーは休憩をはさむと
一気に疲れが押し寄せたようで、早くも疲労感を訴える声もチラホラ聞こえてきます。
NINJA AKASAKAのスタッフさんに笑顔で見送られ四谷にある西念寺へ向かいます。
もう一息、元気を出して参りましょうぞ!
西念寺
西念寺といえば、先月別の『忍士調査隊』メンバーとで訪問したばかりですが、
今回は三重大学の山田先生の解説付きなので、より詳細な情報があるかも知れない…
ご住職も良い方だったので、再会出来れば嬉しいですね!
★前回こちらはレポートしていますので、
その時の様子は別レポートの、忍士調査隊『西念寺』編をご覧ください。
ここ西念寺では、服部半蔵のお墓と『槍』が有名になります。
半蔵正成公は、忍者である父「初代半蔵保やす長なが」の子として、
天文11年(1542)三河国(愛知県)に生まれました。
父、保長は忍者の頭領でしたが、正成公自身は武士として徳川家康公に仕え、伊賀・甲賀の忍者を率いて、また槍の名手として「鬼半蔵」の異名をとり数々の武功を重ね、家康公より槍を拝領しました。
この槍は当寺寺宝として伝わり、新宿区指定文化財に登録されています。
早速山田先生より西念寺についての講義を聞きます。
有名な忍者である服部半蔵が大きく関わっているお寺なので、皆かなり興味深々です!
ここで講義のようすを少しだけ動画でもご覧できます!
↓
https://youtu.be/zC-ZO8m_ZB0
参加者一同で服部半蔵のお墓にお参りします。
半蔵様もたくさんの忍者の参拝に喜んで頂けているでしょうか?
服部半蔵正成のお墓
やはりみんな思うことは、変わった形のお墓だなあ~という印象みたいですね!
前回はそこまで気が付かなかったんのですが、
山田先生に教えてもらい、この半蔵のお墓の裏側の路地を進み、
松平信康公(徳川家康公嫡男)のお墓があるというので、
皆でそろってお参りも出来ました!
松平信康公(徳川家康公嫡男)のお墓
徳川家康公と奥方築山殿との間に長子として生まれ、武勇に優れ将来を嘱望された信康公は、徳川家と同盟関係にあり、天下を望む織田信長公の注目する所となり、その娘を娶りました。
しかし、信長公は信康公の優秀さへの恐れと猜疑心により、噂にすぎない信康公の乱心を理由に(一説には武田勝頼公との内通を疑われ)信康公の切腹を家康公に要求してきました。
この信長公の非情な命令に背くことができず、徳川家安泰と織田家との同盟関係維持の為、家康公は断腸の思いで、最愛の長子信康公に切腹を言い渡しました。
この信康公の切腹の際に介錯を任ぜられたのが半蔵正成公でした。
しかし「鬼半蔵」の異名をとった正成公と雖も、いかに命令とはいえ、仕えていた主君に刃を向けることはできず、遂にこの役目を果たすことができませんでした。
このことから世の無常を感じ、信康公の冥福を祈る為、仏門に入りました。
半蔵の槍
いよいよ西念寺の目的のひとつである半蔵の槍がある本堂をのぞく。
この日も檀家さんの法事があって中には入れないようでした。
ガラス越しになんとか一目見ようとする参加者たち…
実はガラスの反射が多く、見ることは出来たのですが、
残念ながらあまりよく撮影は出来ませんでした。
・・・が、皆があきらめようとしたときに、拙者が一番左端の小窓が一つだけ空いているのを発見!
きっと、コロナ対策で開けておいたのですね!ラッキー!
窓が高い位置にあるので、肉眼ではのぞくことが出来ませんでしたが、
なんとか撮影技術の小技を使い撮影に成功しました!
これが半蔵の槍だ!
「鬼半蔵」の異名をとり、数々の戦功により徳川家康公から拝領した槍です。
安政時代の地震により穂先が折れ、第二次大戦の空襲により柄も焼け焦げてしまいました。
現在の全体の長さは約258㎝、太さは約5㎝、重さは約7.5㎏
半蔵の槍も無事に見れたので、お土産にあのカッコイイお守りを買ったりしました。
ご住職はこの日は法事が3件続いているようでお忙しい様子。
最後にキレイな袈裟懸けのお姿でちらりとご丁寧にご挨拶にみえました。
今回も大勢の忍者達がお邪魔しました~ありがとうございます!
西念寺をあとにして、次の目的地へ出発します。
新宿歴史博物館
昭和初期の新宿を中心とした山の手文化を中心に、旧石器時代からの歴史を紹介する。東京市電や文化住宅、新宿にあった軽演劇場のムーランルージュの舞台などを再現展示している。
正直、忍者に関することは殆ど無く、さらりとスルー見学…苦笑!
清水谷公園
清水谷公園のある紀尾井町は町名の由来の通り、江戸時代の紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、井伊(井伊家)のそれぞれの屋敷があった場所。紀州徳川家と井伊家の境からは清水が湧き出し、一帯は清水谷と称されていました。1890年(明治23年)に一帯の土地が東京市に寄贈され、清水谷公園として整備。1965年(昭和40年)に千代田区に移管され、現在は区立公園になっている。
贈右大臣大久保公哀悼碑もありました。
明治11年(1878)5月14日朝、麹町清水坂において、赤坂御所へ出仕する途中の大久保利通が
ここで暗殺された場所であるそうです。かなり大きな慰霊碑が建てられておりました。
桜の散り際がキレイでしたので記念に1枚撮影
いよいよ最後の目的地へ向かいます!
半 蔵 門
江戸城開府の際、家康が入城した門。有事の際に出陣できるよう、八王子千人同心、伊賀者・甲賀者などを配置。服部半蔵正成は緒戦における功によって物頭に進み、遠州に8000石を領し、家康の関東入国後は、江戸城麹町口門外に組屋敷を拝領。服部半蔵を組頭として与力30騎、伊賀同心200名が置かれ、門外には組屋敷が構えられ、四谷へと通じる甲州街道(現在の国道20号)沿い一帯が旗本屋敷で固められていた。
地下鉄の路線名でもその名が知られる半蔵門ですが、この服部半蔵率いる伊賀同心組が警護を行ったことがその名の由来とされています
半蔵門に近づくにつれ、皇居周辺ということで周囲を巡回する警察の数か増えてきました…苦笑!
以前に参加した忍者百人衆でも、何回も職質にあっている忍者集団なので今回も何かあるかも…。
これが『半蔵門』ですね!
説明を聞く半蔵門前にはちょうど交番があり、隣の公園では花見客がたくさん来ています。
奥の交番からチラチラとこちらを伺う警官の姿が笑えます。
その時、拙者は公園前で警備している別の若い警官が横眼で我々を認識しつつ、さりげなく警棒を取り出してそれを引き伸ばし、戦闘態勢になっているのを見逃しませんでした!
おおっ~と!ヤル気かね?
山田先生の説明が大体終わるのを待って、交番の警官がようやく話しかけてきました。
警官『あの~これはガイドツアーかなにか?でしょうか?』
山田先生『そうですが、何か問題でもありますか?』
忍者一同に注目される警官
警官『いえいえ…大丈夫です』
スタッフ『写真とか撮っててもいいですか?』
警官『はい、風景ですか…あ、大丈夫です』
以前に忍者が100人規模で来たことが何回かあるので、多少認識してくれているみたいでした。
小学生の女のコの忍者もいたので、ちょっと警戒が薄れたのかな?
拙者的には何事も起こらなくて、ちょっと期待外れでした!笑
無事に最後の半蔵門の見学も終わり、浅草に戻ります!
熈代勝覧(きだいしょうらん)の複製絵巻
銀座線の乗り換え途中にある『三越前』駅の地下コンコースには、日本橋を訪れる人々に街の魅力を実感していただくために、約17メートルにわたる「熈代勝覧」の複製絵巻がありました。
「熈代勝覧」絵巻とは、文化2年(1805年)頃の日本橋から今川橋までの大通り(現在の中央通り)を東側から俯瞰し、江戸時代の町人文化を克明に描いた貴重な絵巻物(作者不明)で、原画はベルリン国立アジア美術館に所蔵されています。
浅草ニンジャ・サムライ道場へ到着!
と、いうわけで無事にゴール地点まで戻ってきました!
皆さま一日お疲れ様でございました~!
一緒に歩いた大観さんの万歩計は2万歩を大きく超えたそうです。
調査隊の電二丸さんと拙者は、最後に道場前で山田先生と記念撮影を撮って頂きました!
山田先生一日ありがとうございました!一同礼。
『忍者ウォーク!江戸東京』に参加しての調査報告!
①街を集団でしかも忍者の姿で堂々と歩けて、かなり目立つが面白い!
②忍者学の権威 三重大学の山田教授の同行ご案内付きなんて贅沢!
③ウォーキング時間も多いので運動不足やストレス解消間違いない!
④都内の歴史的なレアスポットが知れて勉強になる!
⑤美味しいランチと本格的なマジックも目の前で見れちゃう!
⑥忍者好きや歴史好き、そして運がよければ本物の忍者とも友達になれちゃうかも!
⑦脱・日常体験!日頃と違う自分になって街へ飛び出そう!
⑧まだまだ違うコースもあるらしいので、リピーターになりそう!
とにかく、忍者や侍、そして歴史好きには断然お勧めのウォーキングツアーですね!
都内にはまだまだ忍者や侍に関する史跡も多く、別のコースもいくつかあるらしいので、
また、機会があれば仲間を誘ってまた絶対参加したいと思います!
とにかくコレ読んで気になるなら…YOU、やっちゃいなよ!
忍者ウォークの公式サイト(日本忍者協議会)へはこちらへ!
↓
NINJA WALK (ninja-official.com)
レポート執筆者:忍士調査隊/紫 龍(しりゅう)
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